「教会がいちばん」  07.07.08  
     
小林貞夫先生(山梨県・日下部教会)
         ローマの信徒への手紙8:26〜28(文責:浅見覚)

 <神を愛する者たち、つまり、ご計画にしたがって召された
者たちには、万事が益となるように共に働くということを、
わたしたちは知っています。>(28節)
 盲人であった父は、山梨から東京に英語を学びに行って、
聖書と出会いクリスチャンになった。人生は、何と出会うかが大事。
 以前、大嶋牧師から、戦中の教育に出会ったことによって、何の
疑いもなく天皇を特別視していた話を聞いた。カルト宗教にうっかり
出会ってしまって悲劇に陥ることもある。
 しかし、教会に来たことで聖書に出会うことが出来る。
 聖書に出会い、豊かになれることは幸いである。
 讃美歌513番を作ったチャールズ・ウェスレーは、末っ子で愛され
育った。彼の讃美歌には、愛されている、祝されているとの喜びが
満ちている。讃美歌138番を作ったアイザック・ワッツは、育った
環境も、自身の肉体にも苦労が多かった。彼の讃美歌には、
憂いや悲しみが満ちている。教会は、喜び多い人も、悲しみ多い
人もどちらも迎え入れる。成績やスポーツなどの優劣も関係ない。
 教会の歴史は、そうであった。それが教会の持っている力である。
 聖書は、「万事が益となる」と言う。たとえ病気があっても益になる
との信仰がある。病気にはなりたくない。
 しかし、どういう状況であっても感謝できる信仰が、教会では語られる。
 また聖書は、「ご計画にしたがって召された」と、言う。
 父が盲人なってクリスチャンになったことも、その父に勧められて
自分が子どもの頃から教会に行ったことも不思議な縁のように
思えること。 不思議と教会に来るようになった人が大半だと思う、
しかし、不思議なことではなくて、神さまによって教会に召されたと言う。
それを信じる信仰が、教会では語られる。
 教会に来て礼拝をし、「すべてのことが益となる」、「神さまに
召されている」ことを繰り返し聞き、思い起こしながらすごせる
ことは幸いである。